ずん
「加害者の母親が被害者の苦しみを語るって、なんか違和感があるのだ。自分の息子が悪いことしたのに『自分もつらい』って言える神経が理解できないのだ。」
でぇじょうぶ博士
「ふむ、それは表層的な見方でやんすね。加害者家族というのは、犯罪という爆弾の破片が飛び散った先にいる『第二の被害者』とも言えるでやんす。息子が犯した罪の重さと、母親個人の苦悩は別次元の問題でやんすよ。」
やきう
「はぁ?第二の被害者?ふざけんなや。ワイに言わせれば、クソガキを育てた責任から逃げとるだけやんけ。部屋に鍵かけて引きこもっとる息子を養い続けるとか、共犯者と変わらんわ。」
でぇじょうぶ博士
「やきう君の指摘も一理あるでやんすが、では母親はどうすべきだったでやんすか?息子を見捨てるべきだったでやんすか?それとも...」
ずん
「てかさ、この息子って刑務所から出てきてから何してんのだ?ビデオ借りてダラダラしてるだけって、償いとは程遠いのだ。母親が朝から晩まで働いて養ってるとか、これ実質『犯罪者のニート養成所』じゃないのだ?」
やきう
「せやな。しかも『デパート行くと被害者思い出す』とか言うとるけど、そんなん当たり前やろ。被害者は殺されとんねんぞ。母親の不眠なんて、被害者の恐怖に比べたら屁でもないわ。」
でぇじょうぶ博士
「...確かに、被害者の苦痛と加害者家族の苦痛を天秤にかけることはできないでやんす。ただし、この母親の証言から見えてくるのは、『償い』という概念の難しさでやんすよ。母親は息子を見捨てることもできず、かといって更生させることもできない。まるで終わりのない迷路に閉じ込められているでやんす。」
ずん
「でもさ、この記事って『母親かわいそう』って方向に持っていこうとしてない?わざわざ似た間取りのアパート借りて撮影とか、演出過剰なのだ。被害者の痛みを忘れさせようとしてるように見えるのだ。」
やきう
「ほんまそれな。ワイ、こういう『加害者に寄り添う系ジャーナリズム』って胡散臭いと思うねん。結局、センセーショナルな話題で本売りたいだけやろ。被害者遺族の気持ち考えたら、こんな記事書けんはずやわ。」
でぇじょうぶ博士
「むむむ、ただしでやんすね、加害者の更生や社会復帰を考える上で、家族環境の理解は不可欠でやんす。この母親の証言は、『どうすれば加害者が真の償いに向かえるのか』という問いを投げかけているとも言えるでやんす。単なる同情を誘う記事ではなく...」
ずん
「でも結局、この息子は何も変わってないじゃん!部屋に引きこもって、母親と会話もしないって、それ更生どころか悪化してるのだ。刑務所の中の方がマシだったんじゃないのだ?」
やきう
「そもそもこの事件、昭和64年って40年近く前やんけ。その間ずっとこの状態って、どう考えても社会復帰失敗しとるやろ。少年法で守られて、結局何も変わらんかったんや。これが『償い』の実態やとしたら、制度自体が欠陥品やわ。」
でぇじょうぶ博士
「その通りでやんす。日本の少年法は『更生可能性』を前提に作られているでやんすが、実際には『更生させる仕組み』が機能していないでやんす。刑務所から出た後のフォロー体制が皆無に等しく、結果として加害者は社会から孤立し、家族が全てを背負う構造になっているでやんす。」
ずん
「じゃあさ、この母親はこれからも一生働き続けて、息子を養い続けるしかないってこと?それって『償い』というより『終身刑の執行人』じゃん。しかも自分の息子に対する...なんか悲しすぎるのだ。」
やきう
「悲しい?ワイには自業自得にしか見えんわ。そんな息子に育てたんは母親やろ。甘やかしたツケが回ってきただけや。同情する気にもならんわ。」
でぇじょうぶ博士
「しかしでやんすね、親の育て方だけで全てを説明できるなら、犯罪学という学問は必要ないでやんす。少年犯罪の背景には、家庭環境だけでなく、地域社会の崩壊、教育システムの問題、そして何より当人の選択が複雑に絡み合っているでやんす。母親を責めるだけでは何も解決しないでやんすよ。」
ずん
「じゃあ誰が責任取るのだ?被害者は死んでるのに、加害者は引きこもりニートで、母親は疲弊しきってる。この構図、誰も得してないし、誰も救われてないのだ。結局『償い』って言葉だけが一人歩きしてるだけなのだ。」
やきう
「せやから、ワイは死刑制度賛成派なんや。こんな中途半端な状態で生かしとくより、スパッと処分した方が被害者も浮かばれるし、加害者家族も解放されるやろ。少年法とか、綺麗事言うとる場合ちゃうねん。」
でぇじょうぶ博士
「...やきう君の意見は極端でやんすが、『償いの不可能性』という問題を浮き彫りにしているでやんす。特に殺人のような取り返しのつかない犯罪において、加害者が何をしても被害者は戻ってこない。つまり『完全な償い』は原理的に不可能でやんす。では、我々社会は加害者とどう向き合うべきか...」
ずん
「うーん、難しすぎるのだ。でもさ、この記事読んでて思ったんだけど、『母思いだった息子がなぜ変わったのか』って副題、ミスリーディングじゃない?記事の中でその答え全然書いてないじゃん。結局センセーショナルなタイトルで釣ってるだけなのだ。」
やきう
「ほんまや。文春お得意の釣りタイトルやんけ。『なぜ変わったのか』の答えが知りたいのに、結局母親の愚痴聞かされるだけとか、詐欺やろこれ。ワイの時間返せや。」
でぇじょうぶ博士
「確かに、タイトルと内容に乖離があるでやんすね。ただ、著者の山﨑氏は11年かけて加害者たちを追っているでやんすから、本全体を読めば答えが見つかるかもしれないでやんす。抜粋記事だけで判断するのは早計でやんすよ。」
ずん
「でも誰がこんな重い本買って読むのだ?みんなネットの無料記事で満足しちゃうのだ。結局、表面的な情報だけが拡散されて、『加害者家族も大変だね』『いや自業自得だろ』って両極端な意見が対立するだけなのだ。建設的な議論なんて生まれないのだ。」
やきう
「せやな。SNSで『加害者の母親に同情する奴は頭おかしい』『いや家族に罪はない』って殴り合いが始まるのが目に見えるわ。で、数日したら忘れ去られる。被害者のことも、真の償いのことも、誰も真剣に考えんくなるんや。」
でぇじょうぶ博士
「その通りでやんす。現代社会の『感情消費型ジャーナリズム』の問題点でやんすね。複雑な問題を単純化し、読者の感情を刺激して、すぐに次の刺激に移っていく。その結果、本質的な議論は置き去りにされるでやんす。」
ずん
「じゃあ結局、この記事の存在意義って何なのだ?被害者も救われない、加害者も更生しない、読者も考えを深めない...誰のための記事なのだ?」
やきう
「出版社の売上のためやろ。『史上最悪の事件』とか『加害者のその後』とか、そういうワードは金になるねん。倫理とか償いとか、そんなん二の次や。資本主義の犬やで、マスコミなんて。」
でぇじょうぶ博士
「やれやれ...やきう君の冷笑主義もどうかと思うでやんすが、確かにジャーナリズムと商業主義の境界線は曖昧でやんすね。ただし、こういった記事が存在することで、少なくとも『償いとは何か』という問いが社会に投げかけられるでやんす。それ自体に価値があるとおいらは考えるでやんす。」
ずん
「...なんかさ、この事件って『誰も幸せになれない地獄』みたいなのだ。被害者は殺され、加害者は人生を棒に振り、その家族は一生苦しみ続ける。で、社会は時々思い出して『やっぱり少年法はクソだな』って言うだけ。なんの解決にもなってないのだ。ボク、こんな社会でまともに働くのバカバカしくなってきたのだ。やっぱりずん賢くニートしてる方が正解なのだ!」