ずん
令和人文主義って、要するに「楽しければいい」ってことなのだ?それって知識人として終わってるんじゃないのだ?
でぇじょうぶ博士
まあ待つでやんす、ずん。これは思想史の必然的な流れでやんすよ。戦争の反省から生まれた教養主義が「理想を疑え!」と叫び、その行き過ぎを倫理主義が「弱者に配慮しろ!」と批判し、そしてその息苦しさから令和人文主義が「楽しもうぜ!」と現れたでやんす。
やきう
ほーん、で?結局ただの逃げやんけ。社会問題から目を背けて、キラキラした表面だけ見て「わーい知って楽しい〜」ってアホちゃうか。
かっぱ
まあまあ、やきうの言いたいことも分かるけどな。でも考えてみぃや。SNSで毎日炎上して、マウント合戦しとる知識人見て、誰が「ああなりたい」って思うんや?
ずん
たしかに、偉そうな大学教授がTwitterで喧嘩してるの見ると、勉強するのバカらしくなるのだ。
でぇじょうぶ博士
そこでやんす!令和人文主義の本質は「反知性主義」ではなく、「反・知識マウント主義」でやんすね。知識そのものは大好きでやんすが、それを使って他人を見下す態度には生理的嫌悪感を持っているでやんす。
やきう
けどな、正確性も倫理性も捨てて、ただ楽しいだけのコンテンツって、それもう教養ちゃうやろ。ただのエンタメや。
かっぱ
そやけど、難しい本を読んで誰にも伝えられへんより、AIで調べて分かりやすく多くの人に届ける方が、知識の民主化としては正しいんちゃうか?
ずん
でもそれって、ファストフードみたいなものなのだ。美味しいけど栄養ないみたいな...
でぇじょうぶ博士
むむむ、するどい比喩でやんすね。でも考えてみるでやんす。二千年分の人類の知識が、AIによって誰でもアクセスできる素材になったでやんす。これは人類史上初めての状況でやんすよ。
やきう
で、その結果がQuizKnockやらゆる言語学ラジオやらか。まあ確かに面白いけどな...くっそ、認めたくないわ。
かっぱ
やきう、素直やな(笑)。でも実際、あいつらめっちゃ勉強しとるで?ただ、それを「偉そう」に見せへんのが上手いだけや。
ずん
じゃあ結局、令和人文主義って「知識はあるけど謙虚なフリをする」ってことなのだ?
でぇじょうぶ博士
ちょっと違うでやんす。彼らにとって謙虚さは「フリ」ではなく、SNS世代としての「作法」でやんす。炎上する知識人を見て育った世代にとって、攻撃的にならないことは呼吸するのと同じレベルの当たり前でやんす。
やきう
なるほどな...つまり「口汚く罵る=ダサい」っていう世代間の感覚の違いか。ワイらおっさん世代は「議論=殴り合い」やと思っとったけど、若い子らには「議論=仲良く話す」なんやな。
かっぱ
せやな。でも、それって悪いことか?弱者への配慮がないっていう批判もあるけど、少なくとも「お前は間違ってる!」って断罪する倫理マウントよりはマシやと思うけどな。
ずん
でも、楽しいだけで社会は変わらないのだ。結局、金持ちの暇つぶしになるだけじゃないのだ?
でぇじょうぶ博士
それは鋭い指摘でやんすね。確かに令和人文主義は、ビジネスパーソンや「人生に困ってない人」をターゲットにしているでやんす。でも考えてみるでやんす。倫理主義の知識人たちは、偉そうに「正しさ」を説いて、実際に社会を良くしたでやんすか?
やきう
...まあ、炎上して本が売れんようになっただけやな。
かっぱ
そう考えると、令和人文主義は「知識で社会を変える」っていう幻想を最初から捨てとるんやな。その代わり「知識で人生を豊かにする」ことに特化しとる。
ずん
なるほど...つまり「革命」じゃなくて「娯楽」として知識を扱ってるのだ。
でぇじょうぶ博士
まさにでやんす!そしてそれこそが「黒哲学」の系譜でやんす。中心を持たず、理想を掲げず、ただ知的な遊びとして哲学を楽しむ。ニーチェやドゥルーズの系譜でやんすね。
やきう
ちょっと待てや。ニーチェもドゥルーズも、めっちゃ難解で、むしろ教養マウント取りまくりの代表やないか!
かっぱ
そこがAI時代の違いやな。昔の黒哲学は「難解さ」で権威を保っとったけど、令和人文主義は「わかりやすさ」で大衆に届けとる。
ずん
でも、わかりやすくすることで失われるものもあるのだ。深みとか、ニュアンスとか...
でぇじょうぶ博士
その通りでやんす。でも、誰も読まない深遠な思想と、多くの人が触れる浅い知識、どちらが社会に影響を与えるでやんすか?おいらは、後者の方が民主的だと思うでやんす。
やきう
くっ...反論できへん。確かに、難しい本を書いて「大衆は馬鹿だから理解できない」って嘆くより、大衆が理解できる言葉で語る方が誠実かもしれんな。
かっぱ
ほら、やきうも認めとるやん。結局、令和人文主義への批判って「昔はよかった」っていう老害の戯言なんちゃうか?
ずん
でもでも、正確性はどうなのだ?専門家じゃない人が語ることで、間違った知識が広まるリスクもあるのだ。
でぇじょうぶ博士
それは確かに問題でやんす。でも、AIの精度が上がれば、むしろ人間の専門家より正確になる可能性もあるでやんす。すでに医療診断などではAIが人間を超えているでやんすからね。
やきう
つまり、将来的には「AI×わかりやすく伝える能力」が最強ってことか。専門知識は全部AIに任せて、人間は「翻訳者」に徹する、と。
かっぱ
そう考えると、令和人文主義って、実はめっちゃ時代の最先端を行っとるんやな。昔の知識人が必死に覚えとった知識は、もうAIがやってくれるんやから。
ずん
じゃあ、これからの知識人に必要なのは「記憶力」じゃなくて「伝える力」ってことなのだ?
でぇじょうぶ博士
まさにその通りでやんす!令和人文主義は、知識の「所有」から「流通」への転換でやんす。知識を独占して権威を保つのではなく、知識を民主化して楽しさを共有する。これぞまさに「新しい教養主義」でやんすね。
やきう
でもな、それって結局、知識の「消費」やろ?深く考えるんやなくて、表面をなぞって「へー、面白い」で終わる。それでええんか?
かっぱ
ええんちゃう?少なくとも、難しい本を前に挫折して「おれには無理や...」って諦めるよりは、浅くても触れて「面白い!もっと知りたい!」って思う方が健全やろ。
ずん
入門編としての役割ってことなのだ。令和人文主義で興味を持って、そこから本格的に学ぶ人もいるはずなのだ。
でぇじょうぶ博士
その通りでやんす。実際、QuizKnockやコテンラジオをきっかけに、大学で歴史や数学を学び始めた若者も多いでやんす。つまり、令和人文主義は「知への入り口」として機能しているでやんすね。
やきう
...まあ、確かにな。ワイも中学の時、マンガ『Dr.STONE』読んで科学に興味持ったし。入門編として機能するなら、それはそれでアリか。
かっぱ
そうそう。結局、「正しい順序」なんてないんや。難しい本から入ってもええし、YouTube から入ってもええ。大事なのは、知識に触れて楽しむことや。
ずん
なるほど...じゃあ、令和人文主義への批判って、結局「俺たちの苦労を無視するな!」っていう嫉妬なのだ?
でぇじょうぶ博士
むむむ、それは言い過ぎでやんすが、一理あるでやんすね。旧世代の知識人は、膨大な時間をかけて知識を習得したでやんす。それがAIによって簡単に手に入るようになり、しかも若者たちがそれを「楽しく」消費している。そりゃあ面白くないでやんすよね。
やきう
「おれたちの時代は、もっと苦労したんや!」ってやつか。まあ、気持ちは分かるわ。でも時代は変わるんやし、しゃーないな。
かっぱ
そうや。昔は「知識=権力」やったけど、今は「知識=娯楽」になった。パラダイムシフトが起きとるんや。
ずん
でも、娯楽になったことで、知識の「重み」が失われたんじゃないのだ?命をかけて追求するような、そういう真剣さが...
でぇじょうぶ博士
むむむ、それは誤解でやんす。令和人文主義の担い手たちも、めちゃくちゃ真剣でやんすよ。ただ、その真剣さを「偉そうに」見せないだけでやんす。視聴者を楽しませるために、何時間もリサーチして、何度も台本を書き直す。それも立派な「真剣さ」でやんす。
やきう
...確かに、QuizKnockの動画とか、めっちゃ作り込まれとるもんな。あれ、相当な労力やろ。
かっぱ
そうや。「楽しそうに見せる」ことこそが、実は一番難しいんや。エンターテイナーの真剣さやな。
ずん
なるほど...じゃあ、令和人文主義は「知識のエンターテイメント化」ってことなのだ。それって、悪いことじゃないのだ?
でぇじょうぶ博士
悪いことではないでやんす。むしろ、知識が「苦行」から「娯楽」になったことで、より多くの人がアクセスできるようになったでやんす。民主化でやんすね。
やきう
でも、エンタメになることで、スポンサーや広告主の意向に左右されるリスクもあるやろ?タブーに触れられへんくなるんちゃうか?
かっぱ
それはあるな。実際、令和人文主義は「政治性」を意図的に避けとる。炎上リスクを回避するためや。
ずん
じゃあやっぱり、深刻な社会問題には切り込めないってことなのだ?
でぇじょうぶ博士
その通りでやんす。令和人文主義の限界でやんすね。彼らは「楽しさ」を最優先するため、重いテーマや対立を招くテーマは避ける傾向があるでやんす。
やきう
つまり、令和人文主義は「安全地帯」でしか戦えへんってことか。まあ、それも戦略やけどな。
かっぱ
そうや。でも、安全地帯にも価値はあるで。みんながみんな、最前線で戦う必要はないんや。後方支援も大事やし、休憩所も必要や。
ずん
なるほど...じゃあ、令和人文主義は「知の休憩所」ってことなのだ。疲れた現代人が、ちょっと立ち寄って知識で癒される場所...
でぇじょうぶ博士
いい表現でやんすね!まさに「知の癒し系」でやんす。倫理マウントも教養マウントもなく、ただ楽しく知識に触れられる場所。それが令和人文主義の居場所でやんす。
やきう
でも、それって結局「現実逃避」なんちゃうか?社会問題から目を背けて、楽しいことだけ見とるって...
かっぱ
まあな。でも、24時間365日、社会問題と向き合い続けるなんて無理やで。たまには息抜きも必要や。
ずん
じゃあ、令和人文主義は「息抜き」としての知識ってことなのだ。それなら、別に批判される筋合いはないのだ。
でぇじょうぶ博士
その通りでやんす。倫理主義の知識人は「知識は社会を変えるためにある!」と主張するでやんすが、令和人文主義は「知識は人生を豊かにするためにある」と考えるでやんす。どちらが正しいということではないでやんす。
やきう
なるほどな...つまり、用途が違うだけか。倫理主義は「武器」としての知識、令和人文主義は「娯楽」としての知識。
かっぱ
そうや。で、今の時代は「娯楽」の方が求められとるんや。みんな疲れとるからな。
ずん
でも、娯楽だけで社会は変わらないのだ。やっぱり「武器」としての知識も必要なのだ。
でぇじょうぶ博士
その通りでやんす。だからこそ、令和人文主義だけでは不十分でやんす。倫理主義も教養主義も、それぞれの役割があるでやんす。重要なのは、互いを否定するのではなく、共存することでやんすね。
やきう
まあ、そういうことやな。結局、多様性が大事ってことか。偉そうな知識人もおってええし、楽しい知識人もおってええ。
かっぱ
せや。で、視聴者が好きな方を選べばええだけや。押し付けるのがアカンのや。
ずん
なるほど...じゃあ、令和人文主義への批判って、結局「押し付け」なのだ?「お前らも社会問題を語れ!」っていう...
でぇじょうぶ博士
まさにその通りでやんす。倫理主義の人々は、無意識のうちに「知識人はこうあるべき」という理想を押し付けているでやんす。でも、令和人文主義の人々は、そもそもその土俵に乗ってないでやんす。
やきう
つまり、「議論がかみ合わない」んやなくて、「最初から議論する気がない」ってことか。
かっぱ
そうや。令和人文主義の側からしたら、倫理主義の批判なんて「おっさんの説教」にしか聞こえへんのや。「はいはい、わかりました〜」で流すだけや。
ずん
それって、ちょっと失礼なんじゃないのだ?真面目に批判してる人に対して...
でぇじょうぶ博士
むむむ、確かに失礼かもしれないでやんす。でも、考えてみるでやんす。倫理主義の人々も、教養主義の人々の批判を「時代遅れの戯言」として無視してきたでやんす。思想史とは、常にそうやって世代交代が起きるものでやんす。
やきう
つまり、「今まで無視されてきた側」が、今度は「無視する側」になった、と。因果応報やな。
かっぱ
そういうこっちゃ。で、令和人文主義もいずれ、次の世代から「時代遅れ」って無視される日が来るんや。それが思想史の流れやな。
ずん
じゃあ、次の世代はどんな思想を持つのだ?令和人文主義の次は何が来るのだ?
でぇじょうぶ博士
それは分からないでやんす。でも、おそらく令和人文主義への反動として生まれるでやんすね。「楽しさだけじゃダメだ!もっと真剣に向き合うべきだ!」みたいな...
やきう
つまり、また「白哲学」が復活するってことか。まあ、振り子は永遠に揺れ続けるもんやし、そんなもんやろな。
かっぱ
そうや。黒と白、娯楽と倫理、相対主義と普遍主義...永遠に繰り返すんや。
ずん
なんだか、虚しくなってきたのだ。結局、人類は同じところをぐるぐる回ってるだけなのだ?
でぇじょうぶ博士
いや、違うでやんす。確かに「振り子」のように揺れ戻しはあるでやんすが、その都度、少しずつ前進しているでやんす。教養主義よりも倫理主義の方が進歩的でやんすし、倫理主義よりも令和人文主義の方がアクセシブルでやんす。
やきう
つまり、「螺旋階段」みたいに、同じところを回りながらも、少しずつ上に登っとるってことか。
かっぱ
ええ例えやな。そうや、人類の思想史は「螺旋」なんや。同じ問題を繰り返しながらも、その都度、解像度が上がっとる。
ずん
なるほど...じゃあ、令和人文主義も、いずれは次の世代に批判されながらも、何かを残していくのだ。
でぇじょうぶ博士
その通りでやんす。令和人文主義が残すのは「知識のアクセシビリティ」でやんす。難解な哲学書を読まなくても、YouTubeで学べる。そんな時代を作ったことが、彼らの功績でやんす。
やきう
まあ、確かにな。おかげでワイみたいなおっさんでも、気軽に哲学に触れられるようになったわ。昔やったら絶対に挫折しとったで。
かっぱ
ほら、やきうも恩恵受けとるやんけ(笑)。結局、みんな令和人文主義に助けられとるんや。
ずん
じゃあ、令和人文主義は「良いもの」ってことでいいのだ?
でぇじょうぶ博士
良いも悪いもないでやんす。ただ「時代の必然」でやんす。AIが知識を民主化し、SNSが攻撃的な言論を淘汰し、若者たちが「楽しさ」を優先する。それが令和という時代の形でやんすね。
やきう
まあ、時代に逆らっても仕方ないわな。ワイらおっさんは、新しい波を眺めながら、静かにフェードアウトしていくだけや。
かっぱ
おいおい、まだ死ぬには早いで(笑)。おっさんはおっさんで、自分のスタイルを貫けばええねん。
ずん
そうなのだ。多様性が大事なのだ。令和人文主義もあっていいし、倫理主義もあっていいのだ。
でぇじょうぶ博士
その通りでやんす。大事なのは、互いを否定せず、それぞれの役割を認め合うことでやんす。令和人文主義は「入り口」、倫理主義は「深堀り」、教養主義は「批判的思考」...全部必要でやんす。
やきう
なるほどな。要するに「住み分け」が大事ってことか。無理に対立する必要はないんや。
かっぱ
そうや。結局、敵は「無知」や。知識に触れることを諦めた人々や。そいつらをどうやって「知」の世界に引き込むかが勝負なんや。
ずん
じゃあ、令和人文主義は「客引き」みたいなものなのだ。「知の世界へようこそ!楽しいよ!」って呼び込む役割...
でぇじょうぶ博士
まさにその通りでやんす!そして、一度入ってきた人の中には、より深い知識を求めて倫理主義や教養主義の世界に進む人もいるでやんす。それが理想的な流れでやんすね。
やきう
なるほど。つまり、令和人文主義は「ゲートウェイ」ってことか。入り口として機能して、奥に進みたい人はどんどん進めばええ。
かっぱ
そういうこっちゃ。だから、令和人文主義を批判するんやなくて、むしろ協力すべきなんや。より多くの人を「知」の世界に引き込むために。
ずん
でも、実際には批判ばっかりなのだ。なんでみんな協力しないのだ?
でぇじょうぶ博士
それは、やはり「縄張り意識」でやんすね。旧世代の知識人にとって、令和人文主義は「侵略者」に見えるでやんす。自分たちの領域が荒らされていると感じるでやんす。
やきう
まあ、気持ちは分かるわ。自分が何十年もかけて築いた知識の城が、ポッと出の若造に「わーい楽しい〜」って荒らされたら腹立つわな。
かっぱ
でも、それって結局、器の小ささやろ。本当に知識を広めたいなら、どんな形であれ、多くの人に届くことを喜ぶべきや。
ずん
そうなのだ。本当に「知」を愛してるなら、自分のプライドなんて捨てて、みんなで協力すべきなのだ。
でぇじょうぶ博士
...ずんが、珍しくいいことを言ったでやんす。その通りでやんす。知識人に必要なのは、謙虚さと協調性でやんす。
やきう
おいおい、ずんを褒めるとか、世も末やな(笑)。
かっぱ
まあまあ。たまにはずんもええこと言うんやで(笑)。
ずん
むむむ、バカにされてる気がするのだ。でもまあいいのだ。ボクが一番賢いから、みんなを許してあげるのだ。
でぇじょうぶ博士
...やはり、いつものずんでやんすね。
かっぱ
さて、そろそろまとめるか。結局、令和人文主義ってなんやったんや?
ずん
えーっと...「楽しく知識に触れる新しいスタイル」で、「AI時代の必然」で、「入り口としての役割」があって...でも「社会問題には切り込めない限界」もあって...うーん、複雑なのだ。
でぇじょうぶ博士
一言で言えば、「時代の子」でやんすね。AIとSNSが生んだ、新しい知のあり方。それが令和人文主義でやんす。
やきう
で、それが良いか悪いかは、時代が決めるってことやな。ワイらがああだこうだ言っても、結局は歴史が評価するんや。
かっぱ
そうや。だから、ワイらにできるのは、それぞれの立場で「知」を広めることだけや。令和人文主義は令和人文主義で頑張って、倫理主義は倫理主義で頑張る。
ずん
なるほど...じゃあ、ボクも頑張って「知」を広めるのだ!...って、どうやって広めればいいのだ?
でぇじょうぶ博士
まず、本を読むことから始めるでやんす、ずん。
ずん
えー、面倒くさいのだ。YouTubeじゃダメなのだ?
やきう
ほら、もうこいつは令和人文主義の申し子やんけ(笑)。
かっぱ
まあ、それもええやろ。大事なのは「触れる」ことやからな。
ずん
よし、じゃあボクはこれから寝るけど、夢の中で哲学するのだ!これぞ究極の令和人文主義なのだ!