ずん
「はかせ、最近の映画って暗い家族の話ばっかりなのだ。みんな仲良くハッピーエンドじゃダメなのだ?」
でぇじょうぶ博士
「それは違うでやんす。家族の暗部を描くことで、観客は自分の家族を相対化できるでやんす。まるでゴキブリホイホイのように、心の闇を吸い取ってくれるんでやんすよ。」
やきう
「ワイの家族なんてもう10年会ってへんわ。絶縁っちゅうか、お互い存在忘れとるレベルやで。」
ずん
「やきうはいつも極端なのだ...でも、この映画の兄妹も絶縁してたんでしょ?死んでから後悔するパターンなのだ?」
でぇじょうぶ博士
「まあ、そういう側面もあるでやんすが、柴咲コウさんが言ってる『時間とともに残された人が補完して事実を美化していく』というのが本質でやんす。人間の記憶なんて、所詮フォトショップで加工した写真みたいなもんでやんすからね。」
やきう
「つまり死んだやつは都合よく美化されるってことやな。ワイが死んだら『あいつは実は優しかった』とか言われるんやろか。」
でぇじょうぶ博士
「ずんは容赦ないでやんすね...でも、中野量太監督のこだわりがすごいでやんす。柴咲さんが『もう一回と言われるのが嫌だった』と正直に語ってるのが面白いでやんす。スカートを掴む手の角度まで何度もテストするなんて、まるで強迫性障害の建築家でやんす。」
やきう
「それ、パワハラちゃうん?女優が嫌がってんのに何度もやらせるとか。」
ずん
「でも、そのこだわりが作品の質を上げるんじゃないのだ?」
でぇじょうぶ博士
「そうでやんす。芸術とパワハラの境界線は紙一重でやんすからね。ただ、柴咲さんが『ヌルッと役に入り込めた』と表現してるのが興味深いでやんす。自分の母親を亡くした経験とキャラクターの感情がマーブル状に混ざり合ったと。これはまさにメソッド演技の極致でやんす。」
やきう
「ヌルッとって表現、めっちゃ気持ち悪いやんけ。もっと美しい言い方あるやろ。」
やきう
「そうやな...『スッと馴染んだ』とか『自然に溶け込んだ』とか...いや待てよ、『ヌルッと』の方が生々しくてええわ。撤回や。」
でぇじょうぶ博士
「やきうの掌返しは相変わらず高速でやんすね...しかし、この映画のテーマは深いでやんす。『兄を持ち運べるサイズに』というタイトルからして、物理的には火葬後の遺骨を指してるでやんすが、精神的には記憶の中で都合よく縮小・編集された兄の姿を意味してるでやんす。」
ずん
「つまり、死んだ人は記憶の中で勝手にコンパクトにされちゃうってことなのだ?」
でぇじょうぶ博士
「まさにそうでやんす。生前はデカい態度で迷惑かけまくってた兄が、死後は『ああ、あの人も大変だったんだな』と美化されて、心の中の小さな骨壷に収まるわけでやんす。人間の記憶なんて、結局は生き残った側の都合で書き換えられる歴史書みたいなもんでやんすよ。」
やきう
「ワイのオカンも『お前の親父は本当は優しかった』とか言うけど、ワイの記憶では毎日怒鳴ってたで。どっちが正しいねん。」
ずん
「両方正しいんじゃないのだ?人間って見たいものしか見ないのだ。」
でぇじょうぶ博士
「鋭いでやんす、ずん。それがまさに『生きていくということ』の本質でやんす。辛い記憶をそのまま抱えてたら生きていけないから、脳が勝手に美化フィルターをかけて、耐えられるサイズに圧縮するんでやんす。ZIPファイルみたいなもんでやんすね。」
やきう
「つまり、人間の記憶なんて信用ならんってことやな。裁判の証言とかも全部デタラメってことか。」
ずん
「やきうは話を極端に持っていくのだ...でも、この映画を観たら、ボクも死んだ後に美化されるのかなって考えちゃうのだ。」
でぇじょうぶ博士
「ずんの場合、美化する余地があるかどうかが問題でやんすね。」
ずん
「ひどいのだ!でもまあ、死んでから『実はいいやつだった』って言われるより、生きてるうちに『お前最高』って言われたいのだ!だからボク、今日から良い子になるのだ!...明日からでもいいのだ?」