ずん
「地味ハロウィンって、要するに仮装する気力もないニートの集まりなのだ?」
やきう
「ちゃうわ。これは現代社会の病理を可視化する高度な社会実験やぞ。エスカレーター掃除の人とか、誰も見てへんのに存在してる労働者の悲哀や。」
でぇじょうぶ博士
「まさにそうでやんす!エスカレーター清掃員は、おいらたちが日常で見ているのに認識していない透明な存在でやんす。彼らを仮装として可視化することで、社会における労働の不可視化問題を浮き彫りにしているでやんす。」
ずん
「でも『シュッ』って言いながらシャドーボクシングするだけで仮装になるって、ボクでもできるのだ!」
かっぱ
「お前がやったら『無職が発狂してる』にしか見えへんやろ。」
やきう
「ワイが一番ヤバいと思ったんは『友だちが靴紐結ぶの待つ人』やな。あの視線の先に誰もおらんのに、友達がいる設定で待ってるんやで?完全にメンヘラの思考回路やん。」
でぇじょうぶ博士
「いやいや、これは実存主義的な問いかけでやんす。『待つこと』自体が行為として成立するのか、それとも『待たれる者』がいて初めて『待つ者』が存在できるのか、というハイデガー的な問題提起でやんす。」
ずん
「哲学の話はいいのだ。それより豆大福の人、発泡スチロール仕込むとか本気すぎるのだ!」
かっぱ
「しかも『難しいこと聞かないでください』て。お前が一番難しいことしとるやないか。」
やきう
「そもそも、ハロウィン終わってから開催って時点でもう地味やん。参加者全員、本物のハロウィンには呼ばれへんかった陰キャの集まりやろ。」
でぇじょうぶ博士
「それは違うでやんす!ハロウィン当日は派手な仮装で溢れかえっているから、地味さが際立たないでやんす。11月2日という何の変哲もない日に開催することで、地味さの純度が最大化されるでやんす。これは戦略的撤退ならぬ、戦略的地味化でやんす!」
ずん
「カルディそのものになった人は天才なのだ!でも市販のシャツって、カルディ公式グッズ着てるだけじゃないのだ?」
かっぱ
「それを言うたら全部終わるやろ。てか、すれ違った人に『カルディ?』て聞かれるって、もはや仮装やなくて実在や。」
やきう
「唐沢むぎこが『笹沢佐保』ってイメージ言うてるけど、20代で笹沢佐保知っとる時点で闇深すぎやろ。どんな青春送ってきたんや。」
でぇじょうぶ博士
「いやいや、これは素晴らしいでやんす!若者が昭和の文化人をリスペクトする姿勢は、文化継承の観点から非常に意義深いでやんす。野坂昭如、筒井康隆、立川談志のエッセンスも加わって、もはや昭和知識人のキメラでやんす!」
ずん
「運動会で連れてこられた数学の先生って、誰もがイメージできるのが怖いのだ。ボクの学校にもいたのだ...」
かっぱ
「せやろ?あのポロシャツの絶妙なダサさよ。なんでバラバラの学校出身なのに全員『あー!』てなるんやろな。数学教師のポロシャツには法則性があるんやろか。」
やきう
「『むかしながらの模型店』とか、もう絶滅危惧種やん。あの暖房の匂いまで想像できるとか、参加者全員オッサンの心持っとるやろ。」
でぇじょうぶ博士
「それこそが地味ハロウィンの本質でやんす!消えゆく日常の断片を仮装として保存する、いわば『民俗学的アーカイブ活動』でやんす。将来、『2025年の日本人は何を地味だと感じていたか』を研究する学者が、このイベントを一次資料として使うでやんす!」
ずん
「でも結局、これって『承認欲求の塊が地味さを装って目立とうとしてる』だけじゃないのだ?」
やきう
「それな。SNSで拡散されるために『地味』を演じる矛盾。現代の闇や。」
かっぱ
「まあでも、それ言い出したら人間の行動全部承認欲求やしな。お前らがここで偉そうに語っとるんも承認欲求やろ。」
でぇじょうぶ博士
「むむむ、そこは否定できないでやんす。でも、承認欲求を地味さで満たそうとする姿勢は、派手に承認を求めるより遥かに高度でやんす。これは『地味系承認欲求モンスター』という新種の生態でやんす!」
ずん
「なるほど...地味さを極めた結果、逆に目立つという矛盾を抱えた人類の業なのだ...って、ボク来年は『地味に語る評論家』で参加するのだ!」