ずん
「映画監督が島に通い詰めて、崩れた崖をずっと眺めてるって、完全にヤバい人なのだ!」
でぇじょうぶ博士
「おいらもその気持ちわかるでやんす。あの〈崩れ〉は地質学的に見ても、火山活動と海食作用が複雑に絡み合った極めて稀有な地形でやんすからね」
やきう
「はぁ?ワイなんて会社のトイレの壁のシミずっと見とるけど、誰も映画撮ってくれへんで」
かっぱ
「しかし4泊5日で同じ崖ばっか見てるって、デートやったら確実に別れるやつやん」
でぇじょうぶ博士
「いやいや、三宅監督が感じた『野蛮な退屈さ』というのは深いでやんす。リゾート地の人工的な退屈とは違って、自然の圧倒的な時間軸に飲み込まれる感覚でやんすね」
やきう
「ほーん、で?ワイの人生の退屈さはどう説明すんねん。こっちも相当野蛮やで」
かっぱ
「地元の青年が『何にもない』って言うてるのがリアルやな。住んでる側からしたら、ただの日常やもん」
でぇじょうぶ博士
「そこが面白いでやんす。観光客目線と住民目線のギャップこそが、その土地の本質を浮き彫りにするでやんす。監督はそのズレに敏感でやんすね」
やきう
「結局、暇人が崖見て『すごーい』言うてるだけやろ。ワイかて近所の電柱毎日見とるわ」
かっぱ
「でも2日で見終わる島に4泊するって、3日目からヤバそうやな。何すんねん」
でぇじょうぶ博士
「そこがまさに創作者の視点でやんす。普通の人が『もう見た』で終わるものを、角度を変え、時間を変え、何度も観察する執念でやんすよ。おいらなんて研究で同じデータを3年間見続けたでやんす」
かっぱ
「しかし『海を眺めれば背後に山を感じ、山を見上げれば背後に波を感じる』って、ポエムすぎへんか?」
でぇじょうぶ博士
「いえいえ、これは島という閉じた生態系の本質を突いてるでやんす。限られた空間だからこそ、すべてが相互に関係し合ってるでやんすよ」
やきう
「ワイの部屋も閉じた生態系やけど、感じるのはカビと孤独だけやで」
かっぱ
「温泉で地元の青年に『退屈です』って言われるの、めっちゃ気まずいやん」
でぇじょうぶ博士
「でもその『退屈』という言葉の重みが、都会の退屈とは違うでやんすね。島の若者にとっては脱出願望と諦念が混ざった、もっと実存的な退屈でやんす」
やきう
「深いこと言うてるけど、結局若者は島から出たいだけやろ。ワイも部屋から出たいわ」
でぇじょうぶ博士
「ロカルノ国際映画祭でグランプリを獲ってるでやんすから、相当な評価でやんすよ。おいらも見に行く予定でやんす」
やきう
「どうせ意識高い系が『深い〜』って言うてるだけやろ。ワイには理解できへんわ」
かっぱ
「崖を何時間も眺めるシーンとかあったら、ワイ寝るわ」
でぇじょうぶ博士
「それこそが現代人の問題でやんす。何もかもが高速化して、じっくり物を見る能力が失われてるでやんすよ」
やきう
「説教すんなや。効率悪いことを美化すんのやめーや」
ずん
「でも博士、ボクも正直、崖をずっと見てるのは無理なのだ。5分で飽きるのだ」
でぇじょうぶ博士
「やんすねぇ...。でも映画という媒体を通せば、その『見飽きない』感覚を追体験できるかもしれないでやんす」
でぇじょうぶ博士
「おそらく『旅と日々』というタイトルが示すように、非日常としての旅と、日常としての日々が実は地続きだという哲学的テーマでやんす」
やきう
「哲学とか言い出したらもう終わりやで。ワイの人生も哲学や」
かっぱ
「神津島の観光業界は、この映画で潤うんかな」
でぇじょうぶ博士
「映画の『聖地巡礼』効果は馬鹿にできないでやんす。ただし、地元の青年が言うように『何にもない』場所に観光客が殺到したら、その『何にもなさ』が失われるジレンマがあるでやんすね」
やきう
「観光地あるあるやん。人気出たら本質が失われるやつ」
ずん
「じゃあボクが先に行って、『何にもなさ』を独占するのだ!」
でぇじょうぶ博士
「感性を磨くには時間がかかるでやんす。三宅監督も何度も訪れて、ようやくあの境地に至ったわけでやんすから」
やきう
「時間の無駄やん。その時間で副業したほうがマシやわ」
かっぱ
「しかし『見た!という気がしない』って、永遠に満足できへんってことやろ?それ地獄やん」
でぇじょうぶ博士
「むしろ、その『完結しない感覚』こそが、創作の原動力になるでやんす。完全に理解したら、もう表現する必要がなくなるでやんすからね」
やきう
「屁理屈やん。単に優柔不断なだけちゃうん?」
ずん
「じゃあボクは2日で島を完全攻略して、完璧なレポート書くのだ!そしたら監督より優秀なのだ!」