ずん
「生きる理由を奪われた人たちが生きた証を掴もうとする」って、現代のSNS承認欲求モンスターと同じなのだ!
でぇじょうぶ博士
それは違うでやんす。SNSは承認を得るための手段が簡単すぎるでやんす。千日回峰行は、七年かけて比叡山を千日歩く、まさに命がけの修行でやんすよ。途中で挫折したら自害しなければならないという掟まであるでやんす。
やきう
ワイからしたら、どっちも承認欲求こじらせとるだけやんけ。インスタ映え狙いも千日回峰も、結局「見て見て!」って叫んどるだけやろ。
かっぱ
おいおい、修行僧と自撮りマンを一緒にすな。あいつら命かけとるんやで。お前のツイートとは重みが違うわ。
ずん
でも博士、この2人って天皇の血筋なのに隠されてるんでしょ?なんかボクの出自と似てる気がするのだ。
でぇじょうぶ博士
...ずんの出自なんて誰も興味ないでやんす。この2人は政治的に利用されないよう延暦寺に「幽閉」されているでやんす。つまり、生まれた瞬間から人生の選択肢を奪われているわけでやんすね。
やきう
要するに厄介払いされたってことやろ?ワイも親に実家から追い出されたから気持ちわかるで。
ずん
それにしても、師匠と弟子がいがみ合ってるって変なのだ。普通、師弟関係って美しいものじゃないのだ?
でぇじょうぶ博士
それがこの小説の面白いところでやんす。2人は互いの「汚い部分」を見せ合ってしまっているでやんす。僧侶なら隠すべき見栄や承認欲求が、修行という極限状態で剥き出しになるわけでやんすね。まるで夫婦が喧嘩するときのように。
やきう
おい待て。博士は結婚どころか彼女もおらんやろ。なんで夫婦喧嘩の例え出してくるんや。
でぇじょうぶ博士
...おいらの恋愛事情は関係ないでやんす。
かっぱ
でもな、お互いのことを一番わかっとるのがこの2人だけっていうのは、なんか切ないわ。孤独の中の連帯っちゅうか。
ずん
つまり、腐れ縁ってやつなのだ!ボクにもそういう友達がいないのだ。
やきう
お前に友達がおらんのは、すぐ約束すっぽかすからやろ。
でぇじょうぶ博士
小川哲さんが「生きる証を掴もうとする熱い話」と評したのは、まさにこの点でやんす。名前を世に残せない運命なら、せめて修行で何かを成し遂げようとする。それは単なる信仰心じゃなく、人間の根源的な欲求でやんすね。
やきう
結局、承認欲求やんけ。ワイが毎日なんJに書き込んどるのと同じや。
かっぱ
全然ちゃうわ。お前のは単なる暇つぶしやろ。あいつらは命かけとんねん。
ずん
でもボク思ったのだ。この小説って、結局「出自ガチャ失敗した人たちの物語」なのだ?
でぇじょうぶ博士
...ある意味そうでやんすね。ただし、彼らは失敗を嘆くだけじゃなく、その中で自分なりの意味を見出そうとしているでやんす。それが千日回峰行という選択でやんす。
やきう
ワイも人生ガチャ失敗したけど、別に修行なんてせんで。ニートしとるだけや。
ずん
でも博士、七年も修行するって、ボクには無理なのだ。三日で飽きるのだ。
でぇじょうぶ博士
だからずんは一生ずんのままでやんす。この小説の魅力は、極限状態に追い込まれた人間の本質が露わになる点でやんす。綺麗事だけじゃない、人間のリアルな欲望や弱さが描かれているでやんす。
やきう
ほーん。で、この2人は最終的にどうなるんや?和解すんのか?
でぇじょうぶ博士
それは読んでからのお楽しみでやんす。ただ、この関係性の行く末こそがこの小説の核心でやんすからね。
かっぱ
まあ、歴史小説やから、ある程度の結末は調べればわかるんちゃうか?
ずん
えっ、じゃあネタバレ検索すればいいのだ!読まなくていいのだ!
でぇじょうぶ博士
...それは小説を読む意味を完全に見失っているでやんす。史実と創作の間にこそ、作家の想像力が発揮されるわけでやんす。
やきう
お前ら、結局この本読んだんか?ワイは読んでへんで。
ずん
ボクも読んでないのだ。でも議論には参加できるのだ!これが現代の知識人なのだ!
でぇじょうぶ博士
...それは知識人じゃなくて、ただの無知でやんす。
やきう
まあでも、承認欲求で修行するって設定は面白いかもな。普通、修行って悟りとか解脱とか、そういう高尚な目的やろ?
でぇじょうぶ博士
そこが人間らしさでやんす。どんなに高尚な行為も、動機は意外と俗っぽいものでやんす。おいらの研究だって、真理の探求というより、学会で目立ちたいという欲求が原動力でやんすからね。
かっぱ
お前、今めっちゃいいこと言うたな。珍しいやん。
ずん
じゃあボクが働かないのも、実は高尚な理由があるってことなのだ!
ずん
そ、そんな即答しなくてもいいのだ...。でもさ、この小説の一番のテーマって、「生きた証を残す」ってことでしょ?ボクもTikTokでバズれば生きた証になるのだ!