ずん
「なんか映画でドア開けたら過去に戻れるとか最高じゃん!ボクも人生やり直したいのだ!」
でぇじょうぶ博士
「ずんの人生にやり直すべきターニングポイントなんてないでやんす。そもそもターニングしてないでやんす。」
やきう
「ワイもそう思うわ。こいつの人生、ずっと直進で崖に向かっとるだけやろ。」
ずん
「ひどいのだ!でもこの映画、マーゴット・ロビーが出てるんでしょ?バービーの人なのだ!」
でぇじょうぶ博士
「そうでやんす。しかし注目すべきは監督の方でやんす。コゴナダという名前自体が小津安二郎の脚本家、野田高梧へのオマージュなんでやんす。」
やきう
「待て待て、日本人でもないのに日本の映画人の名前パクるとか、どんだけオタクやねん。」
でぇじょうぶ博士
「パクるとは失礼でやんす!これはリスペクトでやんす!おいらもモテないオタクとして共感するでやんす!」
ずん
「でも過去に戻って何するの?元カノとヨリ戻すとか?」
やきう
「お前に元カノなんかおったんか?存在しない記憶を捏造すな。」
でぇじょうぶ博士
「この映画の面白いところは、自分じゃなくて相手の過去を体験するんでやんす。まるで他人の靴を履いて歩くような、共感の実験でやんすね。」
ずん
「えー、他人の過去とか見たくないのだ。ボクは自分の過去すら直視できないのに。」
やきう
「正直で草。でもな、この設定って結局『相手を理解するには相手の立場になれ』っていう説教やろ?」
でぇじょうぶ博士
「鋭いでやんす。しかしコゴナダ監督は『すこし・ふしぎ』という藤子・F・不二雄の概念を実写化しようとしてるでやんす。ドラえもんの道具みたいな装置で人間ドラマを描くという試みでやんすね。」
ずん
「ドラえもん!じゃあタケコプターとか出てくるの?」
やきう
「出るわけないやろ。お前の脳みそ、どこでもドアで別次元に飛んどるんか。」
でぇじょうぶ博士
「むしろ『もしもボックス』に近いでやんすね。ただし、完全にやり直すんじゃなく、過去を追体験して理解を深めるという仕組みでやんす。」
ずん
「なるほど...つまりボクも誰かの過去に入り込めば、人の気持ちがわかる人間になれるってことなのだ?」
やきう
「無理やな。お前が理解できるのは、せいぜい昼飯のメニューくらいやろ。」
でぇじょうぶ博士
「しかし興味深いのは、コゴナダ監督がメジャースタジオ初挑戦で、しかも他人の脚本を映画化したことでやんす。これまで自分で書いてきた監督が、セス・リースの脚本に惹かれたというのは珍しいでやんす。」
ずん
「へー、監督って普通は自分で全部作りたいもんじゃないの?」
でぇじょうぶ博士
「そうでやんす。でもコゴナダは『これまでと違うことをしたい』と言ってるでやんす。芸術家の成長には自分の殻を破る挑戦が必要でやんすからね。」
やきう
「つまりアレやろ?『俺の作品』じゃなくて『俺たちの作品』を作りたかったんやろ。意識高い系の極みやな。」
ずん
「でもコリン・ファレルと話して設定変えたって書いてあるのだ。結局、自分の色を出してるじゃん!」
でぇじょうぶ博士
「鋭い指摘でやんす、ずん。実は当初デヴィッドはもっと若い設定だったんでやんすが、ファレルとの対話で『人生に疲れた人物』に変更したんでやんす。これぞコラボレーションの妙でやんすね。」
やきう
「人生に疲れた設定とか、ワイらにぴったりやんけ。共感しかないわ。」
ずん
「やきうが疲れてるのは人生じゃなくて、引きこもりすぎて体力が落ちてるだけなのだ。」
でぇじょうぶ博士
「ハハハ、それはさておき、この映画のテーマは『他者理解』でやんす。でも現実では、ドアをくぐっても相手の過去は見られないでやんす。だから対話が必要なんでやんすね。」
やきう
「対話ねぇ...ワイはネットで罵り合いしかしたことないわ。」
ずん
「ボクもだ!リアルで話すの怖いのだ!だからこそこういう魔法のドアが欲しいのだ!」
でぇじょうぶ博士
「そこが映画のマジックでやんすよ。現実にないからこそ、『すこし・ふしぎ』な設定が心を揺さぶるんでやんす。藤子先生もそうやって子供たちに想像力を与えたでやんす。」
やきう
「まあ、恋愛できひん陰キャに夢見させるにはええ映画かもな。」
ずん
「そうなのだ!ボクもマーゴット・ロビーと過去を共有したいのだ!...あれ、でもそれストーカーじゃね?」