ずん
「やり切ったことがないって、ボクもそうなのだ!長澤まさみと同じレベルということなのだ!」
やきう
「お前のは単なる怠惰やろ。長澤まさみのは芸術家の苦悩や。同じ土俵にすら立っとらんわ。」
でぇじょうぶ博士
「ふむふむ、これは興味深い現象でやんす。長澳まさみさんは葛飾北斎の娘・応為を演じたことで、まさに北斎と同じ『完璧を追い求める呪い』にかかってしまったのでやんす。」
ずん
「呪い?でも北斎って超有名な画家なのだ。成功者じゃないのだ?」
でぇじょうぶ博士
「表面的にはそうでやんすが、北斎は死ぬ間際まで『あと5年あれば本物の画家になれたのに』と言い残したでやんす。つまり自分の作品に一度も満足したことがなかったんでやんすよ。」
やきう
「ワイみたいなもんやな。どんなに完璧な煽りコメント書いても、『もっと上手く人を傷つけられたはずや』って後悔するもん。」
でぇじょうぶ博士
「長澤さんが『MOTHER マザー』について『うまく演じられなかった』と語るのも、まさに北斎的でやんす。客観的には素晴らしい演技でも、自分の理想には届かないという感覚でやんすね。」
やきう
「でもこれ、結局『謙遜してます』アピールちゃうん?芸能人の定番やろ。」
でぇじょうぶ博士
「それが違うんでやんす。真の完璧主義者は謙遜ではなく、本気で自分が不十分だと思ってるでやんす。まるで砂漠で水を求めるように、満足という名のオアシスに決して辿り着けないんでやんすよ。」
ずん
「じゃあ、ずっと苦しいってことなのだ?それって辛くないのだ?」
でぉじょうぶ博士
「辛いでやんすが、それこそが彼女を駆り立てる原動力でもあるでやんす。満足した瞬間、成長は止まるでやんすからね。北斎が90歳まで筆を握り続けたように、長澤さんも演じ続けるでやんす。」
やきう
「なんやそれ。結局、不幸自慢してるだけやんけ。ワイなんて毎日不幸やで。誰も褒めてくれへんけど。」
ずん
「それはお前が引きこもりニートだからなのだ...。」
でぇじょうぶ博士
「興味深いのは、長澤さんが16年ぶりに阿川佐和子さんの対談に登場したという点でやんす。16年前と今では、おそらく『やり切れなさ』の質が変わってるはずでやんす。」
でぇじょうぶ博士
「若い頃の完璧主義は『失敗への恐怖』から来るでやんすが、ベテランの完璧主義は『可能性への渇望』から来るでやんす。つまり、もっと深く、もっと遠くへ行けるという確信があるからこそ、現状に満足できないんでやんすよ。」
でぇじょうぶ博士
「長澤まさみという女優は、もはや『演じる』という次元を超えて、『北斎のように生きる』という領域に入ったんでやんす。筆を持つ指先の美しさとか、歩き方の所作とか、そういう細部へのこだわりは、まさに北斎イズムでやんすね。」
ずん
「うーん、でも『やり切った』って思えないのは寂しいのだ。達成感ってないのかなぁ?」
やきう
「達成感なんて、底辺の慰めやで。本物の求道者には不要や。」
でぇじょうぶ博士
「まあ、言い方はアレでやんすが、やきう君の言う通りでやんす。達成感を求めた瞬間、それは『終わり』を意味するでやんす。長澤さんや北斎にとって、芸術に終わりはないでやんすからね。」
ずん
「じゃあボクも何か極めてみようかなぁ...。でも何を極めればいいのだ?」
やきう
「お前はまず朝起きることから極めろや。それすらできてへんやろ。」
でぇじょうぶ博士
「ちなみに北斎は70歳を過ぎてから最高傑作を描いたでやんす。つまり、長澤さんもこれからが本番かもしれないでやんすよ。50代、60代の長澤まさみ、おいらは今から楽しみでやんす。」
ずん
「えっ、じゃあボクも50代から本気出せばいいのだ!今は準備期間なのだ!これは完璧な人生設計なのだ!」