ずん
「『北の国から』って、ボクが生まれる前の話なのだ。今さら再放送って、老人ホームの娯楽番組かよっていう...」
やきう
「ワイもそう思ったわ。でもな、25年ぶりの再放送が全国に広がってるってことは、老人が日本を支配しとる証拠やで。」
でぇじょうぶ博士
「待つでやんす。これは単なる懐古趣味じゃないでやんす。むしろ現代の日本人が、かつての『貧しくても豊かだった時代』に郷愁を感じている証拠でやんすよ。」
ずん
「えー、でも90歳の脚本家が続編作るって、無理ゲーじゃないのだ?」
かっぱ
「ほんまやな。倉本聰さん、90歳やで。ワイの爺さんなんか80で『今日の晩飯なんやっけ』って3回聞いてくるで。」
でぇじょうぶ博士
「それは偏見でやんす。クリント・イーストウッドは90歳超えても映画撮ってるでやんすからね。創作に定年はないでやんす。」
やきう
「でも邦さん死んどるやん。主演がおらんドラマってどないすんねん。CGで蘇らせるんか?」
ずん
「あ、それいいのだ!ディープフェイクで田中邦衛を再現して、AIが演技するのだ!」
かっぱ
「お前ら、それ死者への冒涜やろ。遺族が泣くで。」
でぇじょうぶ博士
「そもそも倉本氏は『黒板家を再びドラマに』と言ってるだけで、五郎主役とは限らないでやんす。純や蛍の世代の物語かもしれないでやんすよ。」
やきう
「つまり『北の国から 令和編』で、蛍がインフルエンサーやって『富良野の自然で心のデトックス♡』とかやるんか?地獄やん。」
ずん
「それはそれで見たいのだ。純がニートで実家に引きこもってたら最高なのだ。」
でぇじょうぶ博士
「興味深いのは、倉本氏が再放送を見て『当時の自分の心情の揺れ動きがわかる』と言ってる点でやんす。これは創作者が自分の作品を客観視できてる証拠でやんす。」
やきう
「で、結局フジテレビは続編作るんか?視聴率取れるんか?」
ずん
「今の時代、地上波で視聴率取るより、Netflixで世界配信した方が儲かるのだ!『Kita no Kuni Kara: Hokkaido Saga』とかでグローバル展開なのだ!」
かっぱ
「お前アホか。富良野の方言を英語字幕でどないすんねん。『五郎、雪ん中で倒れとるで』が『Goro is down in the snow
やきう
「というか、25年ぶりの再放送が全国に広がるって、逆にテレビ局がネタ切れで困ってる証拠やろ。新しいドラマ作る予算も気概もないんや。」
でぇじょうぶ博士
「それは一理あるでやんす。でも考えてみるでやんす。40年以上前の作品が今も通用するということは、普遍的な人間ドラマの力でやんすよ。」
ずん
「でもさ、倉本聰さんって日枝久さんへの『想い』を語ったって書いてあるのだ。これってもしかして...BL案件なのだ?」
かっぱ
「お前の脳みそ腐っとるわ。『想い』って恨みつらみの方やろ、どう考えても。」
やきう
「ワイもそう思うわ。『あの時こうしてくれへんかった』とか『もっと予算つけてくれたら』とか、そういう愚痴やろ。90歳の恨み節、聞きたいわ。」
でぇじょうぶ博士
「フジテレビと倉本氏の関係は複雑でやんす。『北の国から』でフジは大成功したでやんすが、その後の路線対立もあったでやんすからね。」
かっぱ
「いや、逆やで。全国で再放送が広がってるってことは、フジテレビも『これはイケる』と思ってるはずや。金のニオイがするんや。」
やきう
「でもな、続編作って駄作になったら、名作の思い出が台無しになるで。『スター・ウォーズ』とか『マトリックス』とか、続編でコケた例は山ほどあるやん。」
でぇじょうぶ博士
「そのリスクは確かにあるでやんす。でも倉本氏の『黒板家はその後も生き続けている』という感覚は、創作者としての執念でやんすよ。キャラクターが作者を離れて独立した存在になってるでやんす。」
ずん
「わかったのだ!つまり倉本さんは、自分が死ぬ前に『北の国から』を完結させたいのだ!これは遺言ドラマなのだ!」
かっぱ
「不謹慎やけど、それはあるかもな。90歳で『やり残したことがある』って思うのは自然や。」
やきう
「でも倉本聰クラスの脚本家が、今のテレビ業界の低予算・短納期に耐えられるんか?『こんなんじゃドラマ作れへん』ってキレて終わりやろ。」
でぇじょうぶ博士
「それは杞憂でやんす。倉本氏は富良野塾を主宰して若手を育ててきたでやんす。現場への理解は深いでやんすよ。むしろ問題は、今のテレビに『北の国から』を受け止める度量があるかでやんす。」
でぇじょうぶ博士
「『北の国から』は1話完結じゃなく、長いスパンで人生を描くでやんす。今のテレビは瞬間視聴率ばかり気にして、そういう『じっくり育てる』感覚を失ってるでやんす。」
かっぱ
「ほんまやな。今のドラマって、3話で切られるか続くか決まるんやろ。『北の国から』みたいに20年かけて物語紡ぐとか、もう無理やろ。」
やきう
「つまりや、倉本聰は時代遅れのロマンチストで、フジテレビは金の亡者で、視聴者は懐古厨ってことやな。誰も幸せにならへんやん。」
ずん
「でもボク、ちょっと気になってきたのだ。純って今何歳なのだ?50代?60代?」
でぇじょうぶ博士
「正確には計算してないでやんすが、おそらく50代半ばでやんすね。ドラマが1981年開始で純は当時小学生でやんすから。」
かっぱ
「50代の純か...。氷点下の富良野で丸太小屋建てる体力はもうないやろな。」
やきう
「いや、むしろそれがリアルでええやん。老いた純が『こんなはずじゃなかった』って人生に絶望する話や。令和の『北の国から』にふさわしいで。」
ずん
「それ誰が見たいのだ...。ボク鬱になりそうなのだ。」
でぇじょうぶ博士
「でもそれが人生でやんす。『北の国から』の本質は、華やかじゃない人生をどう生きるかでやんすからね。」
かっぱ
「深いこと言うやん、博士。でもな、今の視聴者はそんな重いテーマ求めてへんで。みんな現実で疲れとるんや。」
やきう
「せやな。だから異世界転生とか、頭空っぽで見れるドラマが流行るんや。『北の国から』みたいな人間ドラマは、もう時代に合わへんのや。」
ずん
「じゃあ『異世界転生した純が、チート能力で富良野に巨大リゾート建設する話』にすればいいのだ!」
かっぱ
「お前、それもう『北の国から』ちゃうやろ。『この素晴らしい富良野に祝福を!』になっとるがな。」
でぇじょうぶ博士
「まあ、冗談はさておき、倉本氏の『ドラマにしたい思いがある』という言葉は重いでやんす。これは単なる商業的な続編じゃなく、表現者としての衝動でやんすから。」
やきう
「でも『思い』だけで飯は食えへんで。視聴率取れなきゃ、スポンサーもつかへんし、誰も作らせてくれへんわ。」
ずん
「じゃあクラウドファンディングすればいいのだ!『倉本聰、最後の挑戦!』って感じで、全国のファンから金を集めるのだ!」
かっぱ
「それはそれでアリやな。でも目標金額10億円とかになるで。ドラマ制作なめたらあかん。」
でぇじょうぶ博士
「興味深いのは、再放送の広がりが『自然発生的』に見える点でやんす。関東ローカルから始まって、全国に波及してるでやんす。これはSNS時代の口コミ効果でやんすね。」
やきう
「つまりTwitterで『北の国から、マジ泣ける』とかバズったんやろ。で、他局が『うちもやろ』と便乗したんや。主体性ゼロやな。」
ずん
「でもそれって、今の時代の正しい戦略なのだ。バズったものに乗っかるのは基本なのだ。」
かっぱ
「お前、それビジネスマンとして終わっとるで。」
でぇじょうぶ博士
「でも結果的に、『北の国から』という作品が再評価されてるのは良いことでやんす。古い作品が新しい世代に届くチャンスでやんすからね。」
やきう
「でもな、『再評価』って言葉は『一度忘れられてた』ってことやで。つまり『北の国から』は一時期、誰も覚えてなかったんや。悲しいやん。」
ずん
「そうなのだ!名作も忘れられる時代なのだ!じゃあボクが今から名作作っても、いずれ忘れられるのだ!」
でぇじょうぶ博士
「忘れられることは悪いことじゃないでやんす。時間が経って再発見されることで、作品に新しい意味が生まれるでやんすから。」
やきう
「ほんまかいな。ワイには『使い捨て文化』にしか見えへんけどな。」
ずん
「博士、結局のところ、続編は作られるのだ?作られないのだ?」
でぇじょうぶ博士
「それは神のみぞ知るでやんす。でも倉本氏の年齢を考えると、時間は限られてるでやんす。作るなら今しかないでやんすね。」
かっぱ
「90歳のラストチャンスか...。でも逆に言えば、90歳だからこそ書ける『老いと死』のテーマもあるやろな。」
やきう
「『北の国から 〜五郎の葬式編〜』とか?暗すぎるわ。」
ずん
「でもボク、ちょっと見たくなってきたのだ。90歳の脚本家が最後に何を描くのか、興味あるのだ。」
でぇじょうぶ博士
「それが創作の力でやんす。年齢や時代を超えて、人の心を動かすでやんすからね。」
かっぱ
「まあな。でも最後は『蛍が富良野でカフェ開いて、インスタ映え狙いの観光客で大繁盛』とかだったら笑うで。」
やきう
「それはそれでリアルやけどな。富良野なんて今、観光地化しまくっとるやろ。『北の国から』のせいで。」
ずん
「じゃあ最終回は『倉本聰、富良野観光協会から感謝状を受け取る』で終わりなのだ?メタすぎるのだ!」