ずん
「えー、昭和のヤクザが女優とベッドシーンって、今じゃ炎上案件なのだ!」
でぇじょうぶ博士
「まあ待つでやんす。これは昭和51年公開のロマンポルノでやんすよ。当時は映画倫理規定ギリギリを攻めるのが芸術だったでやんす。」
やきう
「ワイ、安藤昇知っとるで。本物のヤクザが俳優やってたんやろ?今やったら芸能界追放やん。」
でぇじょうぶ博士
「その通りでやんす。横井英樹襲撃事件で304日間逃亡中の話を、本人が演じるという狂気の沙汰でやんすね。まるで犯人が再現ドラマに出演するようなもんでやんす。」
ずん
「でも、なんでヤクザ映画なのにベッドシーンばっかりなのだ?普通は殴り合いじゃないのだ?」
でぇじょうぶ博士
「それが田中登監督の狙いでやんす。従来の男社会中心のヤクザ映画とは一線を画し、安藤昇の女性関係に焦点を当てたでやんす。つまり、拳と銃の代わりに、愛と性を武器にしたわけでやんすね。」
やきう
「クッソ、結局モテる男の自慢話やんけ。ワイには関係ない世界や。」
ずん
「でも博士、実在の人物がモデルって書いてあるのだ。山口洋子とか岸久枝とか。これ、プライバシー的にアウトじゃないのだ?」
でぇじょうぶ博士
「昭和の価値観でやんすからね。今なら確実に訴訟案件でやんす。でも当時は『これも芸術』で通ったでやんす。まるで無法地帯でやんすね。」
やきう
「山口洋子って、あの『よこはま・たそがれ』作った人やろ?銀座のママで作詞家で、安藤昇と関係あったんか。エグいな。」
でぇじょうぶ博士
「しかも映画には安藤の実子まで登場してるでやんす。子供使って自分の恋愛遍歴を映画化とか、今なら児童虐待で通報されるレベルでやんす。」
ずん
「えっ、実の子供出してるのだ!?それ、将来グレるやつなのだ!」
やきう
「ワイもオッヤに『お前、ワイの武勇伝や』言われて映画出されたら、即座に絶縁するわ。」
でぇじょうぶ博士
「まあ、この映画が安藤昇主演作の実質的な最終作になったのは、ある意味必然でやんすね。ヤクザ映画としても、ロマンポルノとしても、中途半端だったでやんす。」
ずん
「じゃあ、結局この映画って何だったのだ?芸術?それとも自己満足なのだ?」
でぇじょうぶ博士
「両方でやんす。安藤昇という男の内面や価値観が色濃く出た作品、と記事にはありますが、要するに『俺はこんなに女にモテた』という自伝的作品でやんすね。昭和の男の自己顕示欲の結晶でやんす。」
やきう
「結局、金も権力もある男が好き放題やってただけやん。令和の今、こんな映画作ったら、即座にキャンセルカルチャーの餌食や。」
ずん
「でもさ、逃亡中にそんなに女性と会えるもんなのだ?普通、警察から逃げるのに精一杯じゃないのだ?」
でぇじょうぶ博士
「それがヤクザの組織力でやんす。安藤組は当時、全国にネットワークを持っていたでやんすからね。まるでホテル予約サイトのように、各地に愛人を配置していたわけでやんす。」
やきう
「ワイ、逃亡中は吉野家の牛丼すら食えんと思ってたのに、この男はベッドで女抱いてたんか。格差社会やな。」
ずん
「ねえ博士、この映画って今どこで観られるのだ?配信とかしてるのだ?」
でぇじょうぶ博士
「さすがに今の時代、配信は難しいでやんすね。権利関係も複雑だし、コンプライアンス的にもアウトでやんす。まあ、一部のマニアがDVDを高額で取引してるくらいでやんす。」
やきう
「つまり、見たくても見れん幻の作品ってことか。ワイ、逆に見たくなってきたわ。禁断の果実やん。」
ずん
「でもさ、結局この映画が伝えたかったことって何なのだ?『ヤクザでも恋愛できる』ってこと?」
でぇじょうぶ博士
「違うでやんす。『権力と暴力を持つ男は、どんな状況でも女性を手に入れられる』という昭和の価値観そのものでやんす。まあ、今の時代には全く通用しない考え方でやんすけどね。」
やきう
「結局、時代が変わったってことやな。昭和は良かった、とか言うつもりはないけど、こういう無茶苦茶な映画作れた時代は、ある意味自由やったんやろな。」
ずん
「ボク、この記事読んで思ったのだ。結局、伝説って美化されすぎなのだ。実際は、ただのモテ自慢おじさんの記録映画だったのだ!」